「権利のための闘争」
- 作者: イェーリング,Rudolf Von Jhering,村上淳一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/10/16
- メディア: 文庫
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フロム「自由からの逃走」も併読していたが、マルクス・イェーリング・フロムとドイツ人が3人も続いたことでドイツ語をやってきて良かったと感じた。
個人的に神本だった。
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・第一命題(権利のための闘争は権利者の自分自身に対する義務である)
人間の法というのは草木のように自然発生的ではなく、努力の集大成として形成されたもので、権利のための闘争はどんな法分野でも繰り返されてきた。
権利のための闘争は倫理的自己保存のための義務である。
人間にとっては、肉体的な生存ばかりでなく、倫理的なるものとして生存することも重要であり、そのための条件の一つが権利を主張することなのである。(P50)
肉体的苦痛が肉体的自己保存の義務を果たせと警告するように、倫理的苦痛は倫理的自己保存の義務を果たせと警告する。(P59)
権利を侵されることに対する闘争は、係争物に対する権利だけではなく、人格に大きく関わってくる。
物と私とを結びつけたのは偶然ではなく私の意思なのであり、しかもこの意思は、まずもって費やされた私自身ないし他人の労働にもとづいて生まれたのである。私がその物において所有し主張するものは、私自身ないし他人の過去の労働の一部である。私は、その物をわがものとすることによって、私の人格をこれに刻みつけたのだ。この物を侵す者は私の人格を侵すことになり、この物に加えられる打撃は物のかたちをとっている私自身に加えられることになる。所有権とは、物の上に拡大された私自身の人格の外縁にほかならない。(P72)
権利感覚の中でも特に何を重視するかは職業や身分によって異なる。すなわち権利感覚は個人的要素を超えて、身分ごとの社会的生活に欠かせない感覚が前提にある。
農民・将校・商人のいずれにおいても権利感覚の感度が最も高いのはそれぞれの身分特有の生存条件にかかわる点であるが、そのことからして、権利感覚の示す反応は通常の激情とは違って気質とか性格とかいった個人的要素だけにもとづくものではなく、ひとつの社会的要素、すなわちそれぞれの身分独自の生活目的にとって当該の法制度が欠かせないものだという感覚にもとづくものでもあることがわかる。(P63)
・第二命題(権利の主張は国家共同体に対する義務である)
不法は個人に対する権利侵害に加え、法律に対しても侵害している。ゆえに個人が権利を守ることは、同時に法律を守ることで、それはまた国家共同体を守ることである。
私法上の法規の実効性、その実際的な力は、具体的な権利主張において、権利主張に即して示される。そして、権利は、一方で自己の生命を法律から受け取りながら、他方でお返しとして法律に生命を与える。(P81)
自己の権利を主張する者は、その狭い範囲において法一般を防衛するのである。それゆえ、かれらの行動の利害と結果は、かれ個人に限定されず、はるかに大きな範囲に及ぶ。(P83)
国民の権利感覚は国力である。
外国から敬意を払われ、国内的に安定した国たらんとする国家にとって、国民の権利感覚にも増して貴重な、保護育成すべき宝はない。国民の権利感覚の涵養を図ることは、国民に対する政治的教育の最高の、最も重要な課題の一つなのである。国民各個人の健全で力強い権利感覚は、国家にとって、自己の力の最も豊かな源泉であり、対内的・対外的存立の最も確実な保障物である。(P108)
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P140まであるが、主題は語りつくしたと述べていたのでP112まで読んだ。