大学生活総括1

2012年3月10日の正午過ぎで天気は小雨だったと思う。その数年後に俺が経済学研究科棟から銀杏メトロ食堂または中央食堂に移動する際に頻繁に使用することになる総合図書館と三四郎池に挟まれる今となっては何でもない通り(修飾語が長い)近くにある学内案内板付近の芝で、前期入学試験合格発表の掲示を待ち構えていた。

俺にとってこの大学の合格を勝ち獲ることは、高2高3の勉強を経て1浪・1仮面浪人という努力の結実、(先代の)仮面浪人ブログの存在意義、引きこもり同然の閉塞的な生活の打破と新生活の獲得、将来の選択肢拡大など幾重にも意味があった。しかし、応援部のパフォーマンスを耳にしながらアメフト部の隊列をだいぶ隔たったところから追い、群れをかきわけて自分の合格を知っても心の中では喜びというよりも安堵が支配していて、胴上げや記念写真を断るなど意外なほど冷静であったそれでいて、合格を確認しても何度も番号を確認した。わけもなくキャンパス内をウロウロして2〜3度掲示板の前に戻り自分の番号を確認し、掲示されている受験番号や安田講堂をこの日のために購入したカメラで撮った。東京メトロ南北線東大前駅の地下ホームに続く階段に向かう途中で慶應義塾の同じクラスであった友達から電話が来たため合格を伝えると数時間後に会うことになった。帰りの電車の中では関係者にメールで合格を報告し、帰宅後は入学関連書類の入った紙袋を置いてすぐに日吉に向かい、待ち合わせまで時間があったので慶應義塾大学日吉キャンパスの駅側にある建物をウロウロしわけもなく写真を数枚撮った。以下にその時に撮った画像があるがプロパティを見ると3月10日15時16分とある。15時半頃に待ち合わせていたのだろう。電話の友達と会った後は"ひようら"のスタバで駄弁ったり飯を食べたりした。確か飯は奢ってもらった記憶がある。何を話したのかは覚えていない。

前日の2012年3月9日は2時間ほどしか眠れず自分を奮い立たせるために普段全く聞かないイタリアの国歌などを聞いたりしていた。睡眠不足、発表前後の緊張・弛緩、日吉で遊んだこと、夜遅くの帰宅により眠気が限界に達していたのでその日は倒れるように入眠した。俺の新しい生活、そしてこのブログの1日目はこのように始まった。2012年3月10日という一日をここまで詳細に覚えていられるのは俺にとって人生の一つの大きな分岐点となったからである。

発表以後、新ブログを作って更新したり、下北沢や原宿や新宿で靴や服を見たり買ったり、合格祝いという名目で同い年の親戚と新宿・渋谷で遊んだり、仮面浪人の仲間と例のファミレスで会ったり、一人で街や公園を歩いたり、読書したり、合格発表から入学まで好きな時間に好きなことだけをやっていた。当時は受験勉強から解放され最も望ましい結果を獲得しゴミ同然の生活を打破できた気がしたため、本当に充実感に満ち溢れていて、この自由を永続的に手に入れたと思っていた。2012年4月に「4月という名のモラトリアム期間開始のお知らせ」という記事を書いた。以来確かにずっと自由であった。

以上の大学受験合格発表小話は俺が20歳と数か月の頃の話である。あれから5年後の今日、同じ本郷キャンパスで自分の卒業を知ることになった。遂に終わりが来てしまったのである。東大の卒業確認と必要書類の準備のためにキャンパスに向かう俺が、東大合格発表の掲示に向かう学生とすれ違うときに、OASISの「Columbia」という曲にある”There we were, now here we are. All this confusion nothing's the same to me”という歌詞の一節が思い出された。

2012年3月10日から5年後の今日、卒業を掲示板で確認し必要書類を発行した後に就職後に入居する住居及び周辺を下見しに行き「ここに住もう」と心に決めた(覚悟を決めた?)。2017年3月10日も始まりの日になったのである。

三島由紀夫「英霊の聲」(河出文庫)に収録されている「二・二六事件と私」の248ページに「私の癒しがたい観念のなかでは、老年は永遠に醜く、青年は永遠に美しい。老年の知恵は永遠に迷蒙であり、青年の行動は永遠に透徹している。だから、生きていればいるほど悪くなるのであり、人生はつまり真逆様の頽落である。」という俺にとって印象深い文章がある。また、OASISの「Cloudburst」にある”The wind that brings on the rain is making me older”でも「Hello」にある”And it’s never gonna be the same Coz the years are following by like the rain”でも「D’yer Wanna Be a Spaceman」「Stay Young」「Fade Away」などでも分かるように、OASIS(=Noel Gallagher)は年を重ねるということにポジティブな意味を見出していない。

しかしそのように流れゆく時をいくら悲嘆しても、時間の不可逆的な性質上、我々は時間軸の矢印の方向に沿って歩んでいかねばならない。これから時の経過に比例して悲壮感が増してくることは目に見えている。だからこそ自分の世界観なり思想なりをより強固にし、自分だけの防空壕、シェルター、野営地を構築していく必要があると感じる。

"総括2"に続く。
「大学生活総括」というからには圧倒的自分語りの場になる。今まで俺のブログは自分語りや心情吐露というよりも、簡単な報告、作品のレビューや覚書、出来事に対する感想などが重点的であった。しかしブログを締めるからには自分を語って終わりにしようと思う。