「新地政学」/「哲学者とオオカミ」

5月17日読了。2016年16冊目。

ナショナリズム、世界大戦、イスラム国、エネルギー戦略、日本の対周辺国外交などのイケイケのトピックを扱っており面白い本だった。ISがイスラム圏の中央アジアウイグルに与える影響について以前からやんわりと疑問を抱いていたが二人の対談を読む感じだと、ISが今後中国下ウイグル中央アジアに影響を与える可能性も無くはなさそうだ。それも民族意識に結びつく形で。中国は「内なる民族意識」に問題を抱えていて、一気に噴出したら現在進行形で進めている海洋戦略どころではなくなる。その時に日本は国益に資する戦略的な対話が可能となる。

また現在大学でエネルギー政策の講義をとっていてこの分野の関心は個人的に高い。山内氏によればサウジとアメリカの強固な関係が日本の石油供給を可能にしている。石油供給の地政学リスクは大きく、石油に頼れば大丈夫と言って脱原発のエネルギー・ミックスを考えるのは安直すぎる。俺はエネルギー政策とは大宗を占める石油政策であり、石油政策とは外交政策であると考えている。しかし佐藤氏の発言から察するに、日本は中東に関わるロビー活動や中東を皮膚感覚で理解する姿勢が欠いていることが忖度された。

リーダーシップ論に関わる文章で面白そうなもの。

山内 では、なぜこうしたリーダーが日本からは生まれないのか。その理由の一つには、日本の政治家・官僚・知識人に絶望的なまでに欠落している教養の広がりがあるからだと思います。それは軍事に関する知識と教養です。
P218

佐藤 日本の政治家、知識人に軍事の教養が欠けているように、かつての日本の軍人には、人文的教養が欠けていたように思えます。すると何が起こるか。対象となる国を深く知り、必要な情報を収集するインテリジェンス活動ができない。このような活動には人文的な教養が不可欠なのです。
P220-221


哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン

5月18日読了。2016年17冊目。
あらゆる所有を全て取り除かれた状態が最も大切だという俺が昨年あたりにブログで書いたことと同じようなことが書いてあった。俺が独自で紡ぎ出したと思った思想は全て誰かの手で既に書かれている、ということを実感。

俺は翻訳本を読むのが嫌いでありその理由は日本語の翻訳が不自然であり読みにくいという点にある。本書も例外に漏れず訳文が読みにくかった。オオカミとの生活に関わるエッセイ風の記述と哲学に関わる講義めいた記述とフッサールハイデガーヴィトゲンシュタインといった大哲学者の引用が併存していて、実践的な哲学の在り方を考えさせられた。本筋とはずれるが、著者マーク・ローランズがジムでトレーニングする習慣を持ち、若い頃はラグビーとボクシングに熱中しそこそこのプレーヤーだったことが窺えたことに個人的に好感を持った。

恐らく大半の読者とは逆で、著者とオオカミとの詳細の生活部分は流して読み、所々に差し込まれている著者の考察や哲学講義をしっかりと読んだ。著者はオオカミとの生活を通じて、サル=人間やオオカミはどのように存在しているかについて考察を重ねている。特に最後の2章は良かった。オオカミは瞬間や輪を生きる動物で、人間=サルは線を生きる動物である。人間にとって瞬間は捉えどころがなく常に過去から未来へと伸びる時間の線の中で絶えずズレを感じさせられる。よって人生の意味は少なくとも「目標の達成」などではない(目標が達成されたらその人の生きる意味は消失する)。「所有」は時間の線の中で消失するため、動物的な瞬間、全てが尽きたときに残った自分、尚冷たく生きていくこと=defiance、ここに意味めいたものがあるのではないかと著者は主張していると俺は解釈した。

わたしたちは時間の矢への魅惑と嫌悪を交互に感じるので、時間の矢への拒否がわたしたちに、目新しいもの、違ったもの、つまり時間の矢を逸脱したあらゆるものの中に幸福を求めさせる。けれども、時間の矢の魅惑というのは、時間の線からのどのような逸脱も新しい線をつくり出すだけだ、という意味である。だから、わたしたちの幸福は次には、この線からも逸脱するように求める。したがって、人間による幸福の追求は、退行的で無益である。
P235-P236

人生で一番大切なものは目標とか目的だとすると、その目的が達成されたとたんに、人生にはもはや意味がなくなるのだ。
P253

サルにとっては、所有はとても重要だ。自分が何をもっているかで自分を評価する。一方、オオカミにとって重要なのは、何かをもつことではなく、存在することである。オオカミにとって生きる上で一番大切なのは、あるものや量を所有することではなく、ある一定のタイプのオオカミであるということなのだ。
P255

人生で一番大切なのは、希望が失われた後に残る自分である。最終的には、時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。
P261