日吉という街

http://suumo.jp/town/entry/hiyoshi-ino_null/ (誰かにとっての始まりの街「日吉」)という記事を見て、俺の日吉時代が久しぶりに懐かしく思い出された。

この記事は前の記事「大学生活総括1」と次の記事「大学生活総括2」に挟まれる形になっているが、大学時代という括りで顧みるとそれは慶應義塾在籍時代までさかのぼることになる。また東大での生活も慶應在籍時代に影響を受けているので、これは書くべきことだと勝手に義務を感じている。

俺にとって日吉は灰色である。俺は上にある記事の筆者とは違い、日吉で過ごした時間は控えめに言っても一般的な塾生の10分の1にも満たないが、それでも俺の人生において重要な構成要素であると俺は考える。銀玉も日吉駅天一書房もキャンパス内の図書館も構内で流れるチャイム音も食堂の慶應パワー丼も図書館でドイツ語や受験数学の勉強をしたことも”ひようら”のドトール大森荘蔵の『流れとよどみ』を読んだことも、俺の脳内に刻み込まれていて思い起こす度に当時の鬱屈とした心情も蘇る。しかしその鬱屈とした心情は決して苦々しいだけではなく、ある種のノスタルジアも同居している。

東大入学後の学生生活と当時の仮面浪人生活には驚くほどの断絶性がある。慶應義塾在籍時代は本当に何もせず、彩りなどは全く無かった。当時は人と関わらず、ほとんど家に引きこもり(3週間一歩も外に出ないこともあった)、授業も出ず、遊ばず、昼夜は完全に逆転し、趣味も一切持たず、かといって受験のための勉強もせいぜい1日0〜3時間程度であった。また大学の単位取得は留年するかしないかという程度で、しかし東大文科に受かる見込みは半々程度であるという状況下にあった。ブログを立ち上げて大学再受験(仮面浪人)の勉強記録をつけることが社会に参加している実感を得られる唯一の機会であった。そのように見通しが見えず、独りで、無欲で、殺伐とした生活を鬱々と送っていたので、却って記憶に刻み込まれている。しかし俺の人格は慶應義塾在籍時代を飛び越えてはあり得ない。かつてのじっと佇んでいた生活は、落ち着きのない今の俺を貫通している。

慶應義塾に入学した翌年の2012年3月に日吉を去ることになったが、約半年後に俺の夏休み早朝ドライブのコースで何度か通ることになり俺の記憶していた日吉に若干の色彩が加えられ、同時に仮面浪人時代の鬱屈とした生活とも少しだけ和解できた気がした。