大学生活総括2

「大学生活総括1」「日吉という街」の続きになるが、そんなこんなあって俺は東大に入学し、そして色々なことをやった。そして色々なことを変えて、色々な経験をして、色々なことが変わった。他人のことはよく分からないので他人との比較はできないが、知識が増えて視野は広がり、同時に自分独自の世界観を作り上げることもできたと言える。ここまで漠然な言い方しかしていないが、具体的に自分が行ってきたことは沢山ある。

まずは本業とも言える学業。と言っても学業だけでは俺の大学生活は2〜3割程度しか語れないだろう。学業に関してはもう全く何も学ばずに終わってしまった、と勢いだけで言いそうになるのだが、実は意外にもこの5年で身についた知識は多く、視野も広くなり、知性は上がった。授業は基本的にサボっていて(そうでなければ留年しない)、自主的に教科書を読むこともなかったのに、である。

教養学部(駒場)時代は、授業は基本的に適当に受けていたが、進学振り分けで経済学部に進学するために点数を確保する程度の勉強はしていた。結果、進振りの点数も77点程度で東大生の平均あたりは確保した。どんなに授業態度が適当でも、教養学部時代は様々な分野の読書をよく行っており、2年間で150冊以上は読了したと思う。そのためこの期間だけでも受験生時代よりも確実に知識が広がり増強され、確実に脳みそがcultivatedされていた。同時に科類を超えて分野横断的に知識を得ようとした態度は、現在持っている多方面への知識欲や好奇心へと繋がっている。

進振りが終わって経済学部に進学した後は学業的に酷かった。生活が趣味に傾き、可能な限り授業をサボっていた。経営系、金融系の講義はそれなりに興味深かったが、経済学の基礎理論を学ぶ講義は俺にとってそれも退屈だった。一方でゼミはそこそこ真面目に取り組んでいた。理論も実務もやるし、院レベルのテキストを英語原文で読むし、数量経済学もやるしで、腐りかけていた頭が鍛えられた。また、このブログには記録しなかったが、実は経済学部に進学してから投資経験も約2年間ほどあり、ファンダメンタルズもテクニカルもそれなりに独学学んでいた。日経新聞は2013年から購読しておりそれなりに読んできたのでそれなりの時流はそれなりに把握している。それらの活動によって、なんとか脳の腐敗はある程度阻止できたと考えられる(成長したとは言っていない)。

語学に関しては東大受験で使用したドイツ語をはじめ、仏語検定3級を受検して合格したフランス語、スペイン人の友達に教えてもらったスペイン語、授業で履修したタイ語モンゴル語など様々かじった。資格試験は入社前に金融・経済系の資格をいくつか取得した。TOEICも3回受験して680点ほどであった。

今思うと中学の時も高校の時も授業はほぼ聞いてなかった。中学時代は授業の妨害ばかりしていたし、高校時代はほぼ寝ていた。大学で1時間半以上の授業を聞くことができなかったのも俺のパーソナリティを考慮すると当然の流れである。

大学4年時に結構な数の単位を残して留年した。5年目の前期に頑張ったおかげでほぼ単位を取り終えて、A1に本郷の1科目とA1A2に駒場バック1科目を受講。1月にある駒場の”経済原論”の試験で優を取得し、卒業要件単位である88単位ぴったりの単位を取得することで卒業を決めたのである。駒場の授業を4年間取り続けて、駒バックの単位で要件ぴったりの卒業を決めたのは歴史上俺くらいしかいないだろう。そしてこんなどうでもよい自慢をする程度の小物も俺くらいだろう。

研究者になって人類の叡智に貢献、若しくは官僚になって日本に行政的に貢献するという使命からは外れた生活であったが、俺の極めて小市民的なレベルから考えると、自分相応の学業生活であったと総括できる。懸命に努力すれば○○省入省も不可能ではなかったと思うが、行政機関で具体的にやりたいことが思い浮かばず、また現在は公よりもビジネスが起点となることが多いので、その辺の選択肢には後悔は全くない。

経済学は実学寄りの学問であるが、自分自身その系統に属していながらも、所謂”虚学”をかじったことは有意義だった。またそのように体系的にまとめられた”学問”以外にも、俗的な知識や耳学問を広くインプットできたことも大きい。“学業”をカリキュラム的な義務的な勉強ではなく、もっと広い意味で捉えたら、それなりに充実していたのではないかと(過大)評価できる。