2016年&2017年

俺が高校生くらいの時、おぎやはぎが「今年も明けたね」「今年こそは明けないと思ったけど結局明けたね」「毎年毎年明けるね」などと掛け合う漫才を見た記憶があるのだが、今年も例年に漏れずに年が明けるに至った。「生きていればいるほど悪くなるのであり、人生はつまり真逆様の頽落である」と三島由紀夫(「二・二六事件と私」)が言うように、年が明けるごとに下降線に向かっていく気がするのでこれ以上年が明けてほしくないのだが、現実として明けてしまったのでそのことを真摯に受け止めて思考を巡らせたい。

2016年総括

2011年は「仮面浪人・引きこもりの年」、2012年は「環境・習慣変化の年」、2013年は「腐っていた年」、2014年は「ひたすら遊んだ年」、2015年は「就職活動と遊びだけで終わった年」であった。このように各年ごとに短い表現ができるほどの特色があるのだが、2016年を顧みるに今年は「マイナーチェンジの年」であったと言えそうだ。4月から生活に対する意識が少し変化し、ブラジリアン柔術を始め、柔道で昇段しまた大会に何度か出場し自分の柔道スタイルを変え、二度目の就職活動を行い、複数ある資格試験勉強を並行して始め、車を手放して遊び方がまるっきり変わり、その程度なのだが自分の人生の大きな流れから見て能動的に「人生」を行い、それなりに意義のある一年だったと感じる。

大学、就職活動、学業

大学生活に関して、3月に留年が確定して大学生活が延長し、1浪・1仮面浪人・1留という稀少な存在となった。親以外の周りの人は皆優しく「1年くらいの遅れはどうってことない」とよく励まされたが、実は3年遅れであることを告白すると相手も愈々フォローできなくなり困惑することが予測できたため口を噤んでおいた。

就職活動に関して、説明会・セミナー・OB訪問・面接で毎日時間をとられていた昨年とは真逆で、今年はほとんど何もせずに内定を頂いた。昨年の内定先に内定を取り消されたが、励まされてもう一度エントリーするも6回目あたりの実質最終面接後に音沙汰が無くなり精神的に応えた。最終的には昨年と異なる企業から内定を頂きそれなりに納得する形で終えた。

内定式後は毎日のように資格試験等の勉強に勤しむようになった。ここまで継続的に勉強できるのは大学受験勉強以来5年ぶりである。興味のある分野であり且つ目的も明確であるのでそこまで苦痛に感じることはない。2016年は資格試験を4種類計5回受けた。2017年は1月から5月まで毎月資格試験を受けることがほぼ確定している。

柔道、ブラジリアン柔術

2012年5月に柔道を再開して以来、2016年の柔道・柔術ライフは今までで最も充実した1年であったと言える。

柔道は6月に弐段昇段。昇段試合は好成績だったが、投げの形はやる気0で全然出来なかったが慈しみの心で合格させてもらった。大会にも何度か出て、表彰されたり1回戦で負けたりした。勝率は6割程度。出稽古にもそれなりに行った。これまでは立ち技中心、それもオーソドックスな技が中心であったが、それらに加えて肩車や巴投げや隅返しといった技にも挑戦し、柔術を始めたことを機に寝技の練習も行うようになった。2016年でだいぶ幅が広がり、オールラウンダーに近づいた。

絞め技や関節技やポジショニングなど寝技強化を目論み、7月に念願のブラジリアン柔術を始めた。入門してから今までで85回の練習に参加した。最初はなかなか上手くいかなかったがクリスマスイブの日にようやく白帯ラインを一本頂いた。柔術はテクニックや発想力が求められ心身(頭身?)共に刺激される格闘技なので始めて本当に良かったと思う。デラヒーバガードとベリンボロの技術を特に磨いていきたい。

将棋

将棋を指す頻度として年度別に比較すると2013>>2014>>2016=2015という具合で、2016年は集中的に何度か指す時期があるという感じで全体としてはあまり指していない。勉強時間は0秒。相変わらずの居飛車党。5月頃に将棋倶楽部24の最高レーティングを1045から1047に伸ばした、将棋ウォーズの弐段アカウントを一つから三つに増やした、という実績しかなく成長はほとんどない。しかし飽くまでも目標は24の初段。

将棋倶楽部24における最高レーティングの推移は以下。3年前から中級に滞留している。
2013年5月頃 300くらい
2013年8月中旬 541
2014年1月14日 553
2014年1月22日 616
2014年1月23日 619
2014年1月24日 648
2014年1月25日 652
2014年1月26日 685
2014年1月27日 690
2014年1月30日 716
2014年10月頃 1045
2016年5月下旬 1047


画像は2017年1月2日時点でのレーティング。上級に行けそうになるも再び900台まで戻した。

遊び

遊ぶこと、特に一人で遊ぶことはとても重要な活動であると考えている。

3月に経済的事情から家のコンパクトカーを手放すに至り、それ以来レンタカードライブに5回ほど出陣したくらいで、心の大きな拠り所であったドライブ及び一人旅から遠ざかっている。またバーベキュー、アスレチックといったアウトドア系の遊びに関して今年は1回のみ。海外一人旅、国内一人旅も年初の沖縄以外(これは勉強・トレーニング一人合宿なので厳密に言えば旅行ではない)にはどこにも行っていない。

どれもこれも経済的な事情または優先させなければならないことが多く諦めたこともあり仕方がないと割り切っているが、社会人になった暁にはリミッターを外して遊んでいこうと目論んでいる。

その他

音楽に関して長渕剛に目覚めたのは大きな出来事である。今年の4月から7月頃までは気合を入れて"人生"に取り掛からなければならない時期であったが長渕の歌にだいぶ背中を押された。「蝉」や「カラス」をきっかけとして2月頃から長渕を頻繁に聴くようになり、そのカリスマ性や名曲の多さに惹かれ、ベストアルバムを経由してアルバム『Captian of the Ship』『昭和』などの曲を好むようになった。

先述の通り家の車を手放してから自動車所有欲が溜まりに溜まっているため、メーカーHPや中古車サイトなどを巡ったり自動車雑誌を見て、現実的に新車は厳しいから中古車にしようか、車種はBMW320iにしようか、それともRX-8がいいか、86・BRZがいいか、それならMT車がいいかなどそんなことばかり考えている。そしてそれがとても愉しい。

2017年

2017年元日は柔道関係者と山まで走り初日の出を拝んだ後に、一人で立川の映画館に向かいoasisドキュメンタリー映画「supersonic」を鑑賞した。俺の20代前半が詰まっているoasisをさらに知ることができて良かった。oasisを聴くためだけのドライブを何度も決行するなどoasisを共有できる友達と1月上旬もう一度観に行く予定がある。

大学を卒業したら新しいブログを作りたいのでタイトルを少しずつ考えている。名分・名句からの引用やそれらのアレンジや単なる思い付きなど色々決め方はあるが、今のブログタイトルが適当なだけに次はブログ名候補をメモするなどして真剣に考えたい。

労働者として社会人に出ると食扶持を自分で稼いで「生きて」いくことが要請され、生活や環境といった外的な側面だけでなく、考え方や人生観といった内的な側面まで変わらざるを得ないことになるだろう。しかし4月以降のことはまだ分からず何も考えられないので、とりあえず3月までを区切りとして色々考えていく。

これからは常識と同調圧力が渦巻き没個性的になることを絶えず世間から押し付けられ、さらに年齢を重ねるごとにその重みが増してくるため、俺は一層独りでいる時間を大切にして自己像を彫り続けなければならない。