近況&デブは敗北論&24歳

そういえば、7月下旬にある企業から内々定を頂き8月1日に握手をし、なんとか労働市場の中で拾ってもらうことができた。自分の実力と照らし合わせて良い企業から拾ってもらったと感じるので頑張るつもりでいる。新学期の始まりと共に資格試験や英語の勉強も始めた。

一方で卒業まで26単位残っているという絶望的な状況を打開しなければならない。「4年冬学期で10単位残っててヤバい」とか「6単位あって不安」という声が聞こえたりするが、俺は26単位だ。そしてなんとかなると思っている自分がいる。冗談抜きで留年&内定取り消しの危機がかなりあるが、今思えばそんな状況を多く経験している。高校2年生では情報の単位を落として留年しそうになったし、高校3年生では数学Cを全く勉強しない上に学校もサボりまくっていたので卒業できない可能性があった。慶應にいる頃は東大に落ちたら単位ギリギリで2年生進学という状況だったし、東大1年生の頃は社会科学の取得単位数を勘違いして留年しそうだったし、その上1年生冬の時点で68点くらいしかなかったので経済学部に進学できない可能性もあった(最終的に77点まで上げた)。これらは全て最後にはなんとかなった。しかし今回は難易度が高い壁だと感じて不安を感じる。

学生生活の最後を学校の授業だけで潰したくはないと思っている。大学2年生に初海外(フランス)を経験し今日まで10ヶ国(フランス、ドイツ、スペイン、モンゴル、中国、韓国、ラオスイスラエルパレスチナ、トルコ)を一人旅してきたわけだが、1月からの春休みのどこかのタイミングで南米を放浪する計画を立てているのでスペイン語の勉強も少しだけ再開した。フランスを除く9か国分の旅行記は既に準備されているのでいつかブログに記事として残したい。

パレスチナに関しては、アメリカや日本では国家として承認していないが、非常に多くの国が承認または承認する動きをしているので国としてカウントしている。

長渕剛はデブを敗北としている。しかしこれは太る体質には不利であり、痩せ体質には有利である。俺は普通に生活したら50キロ前半まで落ちる痩せ型タイプだが今までの自分を敗北者だと感じている。そこで俺は公平性を考慮して「デブとガリガリは敗北」と長渕説を修正したい。

大学1年生4月時点で53キロしかなかった俺に関しては、十分な食事とプロテインと柔道のおかげでMAX65.5キロまで到達したが、就職活動を終える頃には60キロまで落ちた。

23歳後半あたりから年齢に関して強烈に意識するようになったとどいつかの記事に書いたはずだが、その意識と焦燥感は日に日に強くなっている。

OASISの"Cloudburst"にある「The wind that brings on the rain is making me older」という歌詞は今になって骨身までに沁みてくる。The Offspringの"can't repeat"では「Life rolls on. come of age. can't hold on. turn the page.」なんてことも言ってるが、大学生活の4年間はページを飛ばして捲ったのではないかと疑う速さで過ぎ去っていった。神聖かまってちゃんに"23歳の夏休み"なんて曲では「そして33歳さ」なんてことも歌っている。俺が14歳の時は24歳になるなど頭をかすめもしなかったが、当時から現在に至るときと同じような速さで34歳になるのだろう。

OASISの"Hello"では「We live in the shadows and we had the chance and threw it away」とあるが、俺の貴重な20代前半を表す言葉がここに凝縮されている。最高の環境と若さと健康体を持つ大学4年間をゴミのように過ごしてしまったことに対する落胆は凄まじく大きい。

高校3年生や成人や大学2年生でもう若くないと悲観する人がたまに見られるが、それは切実ではない。それが「アスリートを目指すも夢が敗れた」という意味ならそうかもしれないが、人生を構築する上ではまだ少し余裕がある。24歳、普通はサラリーマン2年目若しくは6年目というところだが、ここまでくると堂々と自分は若いと主張することはできないのではないかと感じる。最近は本気で山頂から下り坂を下っている気がしてならない。