ノート

大学生活が再開し言葉を発することが滅多になくなる生活に戻ったためか表現する欲求が高まってきた。通学時間に1時間半もかかり、なお且つ行きも帰りも満員電車に揺られているため、読書か思索くらいしかやることがなく、頭の中で様々な考えや発想が思い浮かぶようになった。1年生の頃の境遇にどことなく似ている。ということでブログを更新する気になった。色々あったのでネタは沢山あるのだが(ネタは毎日更新できる程豊富)、あった事実を近況という形式にまとめたり、筋トレ記録を書く気にはならない。読書も再開しているが、確かに今読んでいる三島由紀夫の「行動学入門」や既に読み終わった将棋に係るエッセイ数冊も面白いのだが読書記録も書くにならない。しかし何か書きたいのであまり意味のないことを書こうと思う(電王戦を見ながら)。

1か月ほど前に1冊1000円するノートを買った。何に使うか一切検討せず、とりあえず高いノートが欲しいということで買った。元々ノートは多用するタイプの人間なのでこんな高級なノートが何に使われるか楽しみにしていたが、使用方法については充分に吟味したにもかかわらず結局決まらなかった。

数日後、同じノートの色違いを目にしたがこの際も何の勘定もせずに買った。1冊目と同様吟味をしたが結局何も構想が浮かばなかった。ついには思考すら放棄してしまい今に至る。

話はガラッと変わるが、現在電王戦が行われている。ハード制限なしのPCソフトに対して羽生森内渡辺を早く出す声が多いのだが、それに対し「興行的には急ぎすぎである。PCにはハード制限をしプロ棋士側もタイトルホルダーを控えた方が含みがあって面白い」というような趣旨の書き込みをネット上で見たことがある。確かに第3回電王戦においてプロ棋士の負け越しは決定しているが、「豊島レベルのトッププロにはまだ勝てない」「ハード制限がかかっているため、制限なしにすればコンピュータのレーティングを考えたとき期待できる勝率はかなり低い」「GPS将棋や制限なしponanzaやNDFと羽生三冠ならどうか」「盤駒を横におけばソフトには対抗できる」など議論が盛り上がっている。議論の余地を残す重要性を改めて思い知った。

ノートに限らず何も目的を持たずに購入してみてそれに関して思いを巡らせてみる、ある種の「含み」のようなものを持たせることはとても興味深いことかもしれない。今もその高級ノート2冊が何に使われるか楽しみにしている。