「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下)」

3月27日読了。2016年12冊目。
三島由紀夫「太陽と鉄」に続く、自選名著リスト(大カテゴリ)肉体系(中カテゴリ)にリスト入りした。この本の俺に対する影響は大きい。

上下巻合わせて1000ページを超すボリュームある文庫だ。一つの事実についても、多くの人の証言や雑誌・新聞記事から多角的に検証しており、著者の18年かけた粘り強い取材には感服した。駒場で開講されていた「経済思想史」を受講したことのある東大教授・松原隆一郎氏やコムロックで有名な寝業師・小室宏二氏からの引用もあるのが個人的に嬉しかった。

異様なタイトルであるが、木村政彦の個人史が中心に据えられながらも、牛島辰熊力道山大山倍達岩釣兼生グレイシー一族などの格闘家、講道館高専柔道・武徳会といった各流派の栄枯、日本におけるプロレス興行の草創期など、木村に絡む多くのことにスポットが当てられた壮大なノンフィクションである。昭和や戦争という時代の激流の中の断片的な事実が、著者増田氏の莫大な取材によって一つの歴史として輪郭を表す。

個人的には下巻よりも上巻の方が好きだし読みやすかった。上巻では純粋に強さだけを渇望してひたすら稽古に励んでいた柔道時代を中心に書かれたのに対して、下巻になると登場人物の様々な泥に塗れた利害が交錯し、一気に俗っぽくなる。

wikipediaには本書に対する評価が複数あるが、印象に残ったのは以下。

椹木野衣は「十八年に及ぶ探求の果て、著者が末尾に書き付けた言葉は、格闘技の極北の姿を示すものとして、壮絶かつ想像を絶していた。ニーチェの言葉を借りて言えば、この本は正に血と化した精神で書かれている」(wikipwdia)

立技至上主義の柔道観が変えられた本だ。嘉納治五郎の目指す柔道は投技・寝技・打撃全てを含む総合格闘技志向の柔道であり、戦前の柔道家は実戦的戦場格闘技と位置付けていたと見受けられる。木村政彦はその先駆を行った格闘家だ。その精神性は弟子・岩釣にも受け継がれ、地下格闘技のチャンピョンに上り詰めた。この本に感化されて、ウェイトトレーニングで肉体を限界まで鍛え上げ、ブラジリアン柔術極真空手やボクシングや合気道などで総合力を磨きたくなったのは俺だけでないはずだ。