語彙力と精神安定の関係

片っ端から様々なジャンルの本を読みまくっていた大学1年生の頃と比べて、ここ最近は明らかに語彙力(言葉の引き出し、文なども含む)が減ってきている。教養とは単発の知識の寄せ集めとは違い知性のレベルひいては人格のレベルまでに溶け込むため、そう簡単には経年劣化しないようにできているのだが、少なくとも語彙力に付随して身についた教養(?)は体感的に確実に低下している。語彙力やそれに付随する教養が低下すると、同程度に感受性や分析能力も低下しているような感覚に陥っている。自分を自分たらしめていた、また軸がぶれたときに自分に引き戻させた"あの言葉"の引き出し=語彙に付随する教養が、徐々に薄れてくると、自分の存在が不安定になってくる。

ところで、知性が薄まってきたことと引き換えに(引き換える必要はないのだが)、最低週2回のマシントレーニングと週5回の柔道と健全な体重増量によって肉体の教養は身についてきている。但し、"肉体の教養"とはそれっぽい言い方をしているだけであって、自分でも意味をよく分かっていない。