「白」

白

8月12日読了。2013年57冊目。夏休み6冊目。

この本を知ったのは2009年3月某日午前9時半頃の河合塾新宿校。高校2年生の僕は2月に行われた東大入試の問題を解くイベントに参加していた。これはその時に読んだ文章なのだが内容が面白くて強烈に印象づけられた。以来ずっとこの「白」を全部読んでみたいという思いに駆られ、受験終了直後である昨年の4月に駒場の生協書籍部で購入した。積読だったため長らく存在を忘れていたが、たまたま目についたので読んでみた。ということで4年越しの思いが成就された。

ちなみにだが東大入試に出題される現代文の文章は総じて素晴らしいものが多いのでチェックしてみるのも良い。

最高に面白かった。

白は、混沌の中から発生する生命あるいは情報の原像である。白はあらゆる混沌から潔癖にのがれきろうとする負のエントロピーの極みである。生命は色として輝くが、白は色をものがれて純粋に混沌の対極に達しようとする志向そのものである。(P11)

白には、ことが始まる前の無垢な静謐さや、膨大な成就を呼び込む未発のときめきがたたえられている。一方で、薄く均一な素材は壊れやすくはかなげである。そのような白い紙に墨の黒色で文字や図を置く、その劇的なる対比。ここに人類史上最も重要な感覚の覚醒があったはずである。(P16)

何もないということは、何かを受け入れることで満たされる可能性を持つということである。空っぽの器を負の意味に取らず、むしろ満ちるべき潜在力と見るところに、コミュニケーションの力学が動き出す。…略…日本人がイメージした八百万の神は、ひと所に局在する神ではなく、あまねく世界全体に遍在する神である。…略…神々は、自在に世界に遍在するが、これを拉致して自分たちのために働いてもらうことはかなわない。ただし、意図的に「空白」をしつらえたなら、空白であるがゆえに神はそこに入るかもしれない。…略…人々は、神が宿るかもしれない可能性としての屋代に、自身の思いをも投げ入れて心の安寧を得る。宗教とは、不可知で神秘的なるものと人間との対話である。日本の場合は、このようなエンプティネスを介してその対話がなされていると考えてよい。(P41-44)

白い紙に記されたものは不可逆である。…略…推敲という行為はそうした不可逆性が生み出した営みであり美意識であろう。このような、達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる。(P69)

現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。…略…断定しない言説に真偽がつけられないように、その情報はあらゆる評価を回避しながら、文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。明らかに、推敲がもたらす質とは異なる、新たな知の基準がここに生まれようとしている。(P70-71)

白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること。不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。…略…音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様な意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。(P72)

未知化は白に通じている。白とは混沌に向かう力に逆行し、突出してくるイメージの特異点である。それは既知の混濁から身をよじり、鮮度のある情報の形としてくっきりと僕らの意識の中に立ち上がる。白とは、汚れのない認識である。いとしろしき様相の具現、情報の屹立した様を言う。いとしろしき様相はいとしろしき認識を呼び起こす。「分かる」とは「いとしろしき認識」そのものではないか。既知化し、惰性化することは、意識の屹立がおさえられ認識の泥沼に沈むことである。その泥沼から、まっさらの白い紙のような意識を取り出してくることが「分かる」ということである。僕らは世界に対して永久に無知である。そしてそれでいいのだ。世界のリアリティに無限のおののき続けられる感受性を創造力と呼ぶのだから。(P76)