「見るまえに跳べ」

見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

3月19日読了。2013年26冊目。
大江健三郎は4冊目だが今までの作品は全部好き。大江氏の作品の内容は好きだが確かに読みにくいではある。次は「個人的な体験」を読みたい。

・奇妙な仕事
「死者の奢り」と同様に血と死者の匂いが感じられる作品。話のオチはそこまで重要ではないんじゃないか。

・運搬
密売された牛を自転車で運ぶが途中で野犬に襲われる話。「奇妙な仕事」となんとなく似ている。
場面比較1
雇い主→「変なことだな、屈辱的だろうな、子牛にしてもさ」(P71)
僕→皮を剥いだ子牛を自転車で運ぶ人間の屈辱、と僕は考えたが…(P71)
場面比較2
雇い主→「あんたは俺たちが、この子牛同然と考えているんじゃないだろうな」(P82)
僕→子牛の下肢にむしろ親近感さえ感じ始めていたのだ。(P81)
場面比較3
雇い主→「おい、逃げよう、肉を棄てて逃げよう」(P83)
僕→出口を見つけることができない。(P83)

・鳩
三番目に面白かった。割と難解だけど。少年院が舞台で、主人公の14歳の少年は院=罪の内部で《弛緩》にどっぷり浸かっていたが、ある夜の事件を境に誰にも共有されない《罪》を一人で背負うことになり、自分で自分を罰する他なくなった。確かに自分で自分を裁くのはかなり苦痛。タイトルがなぜ「鳩」なのか…。

僕はいままで、かずしれない罰の枠にかこまれてくらしてき、その枠の中でじっと《弛緩》していればいいのだった。枠の外に正常な社会は安全に確固として存在していた。ところが今となっては、あらゆる堅固な枠組が崩れてしまったと思われるのだ。僕は自分の《罪》をせおいこんだまま突然見すてられ、ひとりぼっちで投げ出されている。この胸をしめつける不安をどうすればいいのだろう。(P124)

・見る前に跳べ
「僕」の子どもを孕んだ田川裕子がフルネームで記述されているあたりで心に距離感が推測される。この短編集の表題だが正直そこまで。タイトルは良い。

・鳥
阿部公房の影響が感じられる。二番目に面白かった。精神破綻者の話。抽象的な「鳥」との生活により冷酷な他者=現実から身を守って来たが、精神病院に強制的に監禁される過程で「鳥」に裏切られる。これを機に現実側の人間に心変わりするが母親がいかれる。

・ここより他の場所
良い。主人公の男のモデルは僕。

一人でも生んで、それを人間にしてしまうことがいちばん残酷なことなんだよ。もう一人の日本人をぼくらが生みだすこと、それは残酷なことだよ。…略…ぼくらが子供を生むなんて、そいつに無残な一撃を準備するためだけにそうするようなものなんだ。(P230)

―金をめぐんでくれというんじゃないんだ、ここから出て行きたい男と仲間をくみたいんだよ。いい船がある、あんたはおれとそれに乗ってここより他の場所へ行かないかね?
《あの老人は重要な転機をおれにもたらすためにきた天使で、あの低い声が、天の声だったのかもしれない》…略…《おれがもし、あの老人と仲間をくみさえすれば、おれたちは遠い所、どこか他の遠い所へ行けたのだ。出発の機会はほんのちょっとしたはずみで永久に喪われてしまう。そしておれは一生、ここより他の所では行けない》(P240)


・後退青年研究所
微妙。書きたいことも特にない。

・下降生活者
一番面白かった。田舎の小さい商家の「僕」が他に目もくれずエリートの階梯を上昇してきたが、反動として下降への欲求が急激に高まり、大学助教授としての生活と路地裏を中心に同性愛に励む生活を二重で送る話。下降生活では架空の僕を作り上げるが、そちらに充足感を覚えてしまい、やがて大学助教授としての生活を辞するようになる。

現実の僕は、人間の未来を信ずるかわりに、生きているあいだにこの現世で勝利をえることをのみ狡猾に追いもとめ、そのための上昇の階梯に自分をおいた男であった。そして、この路地での《架空の僕》は、現実の僕の不安を危機感の圧力を低くたもつための安全弁であったわけである。(P351)


戯曲は好きじゃないので「動物倉庫」はスルー。「上機嫌」は三角関係の話っぽく僕の肌に合わなそうなためこちらもスルー。