「何者」

何者

何者

3月2日読了。2013年22冊目。

怖かった。
就職活動とtwitterが題材で、所謂意識の高い大学生達が連帯して就活を乗り越えているように見えるがしかし…というのが中心的なテーマ。著者は僕より2コ上の23歳。僕と同い年の1991年組はもう就活を始めていて、道場に行ったりすると地元の友達の話題が就活に移行してて青ざめるレヴェル。

まず面白いのが登場人物の説明。三島由紀夫「レター教室」でも登場人物の説明が見られるが、これは年齢・職業・性格・人間関係などが文章のみで説明されていて、これが標準的である。しかし本書の場合、登場人物の性質がtwitterのプロフィール欄及びアイコンで把握できる。

6人くらいが主な登場人物でこの小説の視点は拓人に定められている。それ故、序盤から中盤にかけては拓人の眼からでしか人物像の把握ができない。登場人物は皆、御山大学という架空の大学生だが、多分早稲田。

あらすじは以下。
・序盤中盤
拓人「実力が伴っていず見栄っぱりな意識高い大学生はマジクソ」
・終盤
理香(僕自身作中で一番クソ女だと思ってた)「お前のサブアカみたわ。私は特別な才能がないながらも一生懸命にやらざるを得ない。しかしお前は傍観者ぶって観察者ぶってそこから逃げて自分を見つめようとしない。サブアカで他人に対する分析を垂れ流してるだけ」
拓人「ぐぬぬ
〜数日後の面接〜
拓人「そんな弱い自分を克服したった」

でも確かに観察者や評論家は楽だし苦痛もないよなと思う。自分の実力なるものを見定めて現実と折り合いをつけることは、苦痛を伴うしバカにされるしだけど、それは大半の人間にとって社会人になるための通過儀礼だと思う。さっき福本伸行の「最強伝説黒沢」という漫画を読んでて、ホームレスのじいちゃんが、「大人は折り合いをつけて自分を知らないふりをしてるんだよ」的なことを言ってたが、これはまさに「何者」の終局的な段階かもしれない。ここでamazonのレビューを引用。

20代は「何者か」になることで必死であり、それでいい。しかし30代、40代ともなると、「何でもない者」としてどう生きるかというもっと難しい問いが待っている。By nacamici

世の中の大半の人は「何者」にもなりえない。twitterのスラッシュで区切られた単語や肩書の羅列は、自分が何なのかという模索に拘わる最後の情熱なのかもしれない。僕も20歳を越えたあたりから老いに対する恐怖が芽生えてきてるのだが、この感情は登場人物らの「何者」感に通底している感じがしてならなかった。