「生権力の思想」

生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換 (ちくま新書)

生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換 (ちくま新書)

2月19日読了。2013年16冊目。
2年前に読んだ「戦後の思想空間」以来の大澤氏の著書。「戦後の〜」にしてもこの本にしてもあまり僕の肌に合わなかったようだ。新書だけど結構ムズかった。でも身体論自体は興味のある分野なので頑張った。


カフカシュレーバー・宮崎死刑囚・オウム・ファシズムなどから身体論を読み説く。ざっくり言えば現代の変化は、「見られているかもしれない」不安から「見られていないかもしれない」不安への移行、規律訓練型権力から管理型権力への移行に見ることができる。

身体加工の歴史は4段階に分けられる。原始共同体における身体加工(第1段階)は文化的象徴としての役割を果たしたのに対して、現代的な身体加工(第4段階)はピアスやリストカット等、痛みによる実存への確認としての役割、すなわち逸脱行為、自然への回帰としての役割を果たしている。普遍化された、他者と互換性のある身体に対して「身体の実存的な痛み」は身体の残余である。現代的な身体加工においては、規範的な役割に回収されない単一性の<私>が希求されることになる。

様々な内容が詰め込まれて要約という形で文章化するのは難しいが、どの事件にも共通するのは「極限的な直接性」という他者との関係、つまり他者と自分との交錯から、第三者の審級を投影していることである。これは私が他者に魅了されて他者へと向かい変容することを回避する行為である。

内容を反芻してみるとよく分からくなってきた。
ただ身体加工論が一番面白かった。本来文化的象徴と自然からの離反を意味した身体加工が、現在では普遍化された身体の誕生により文化性からの逸脱への志向に反転している、という議論が印象的だった。