「読みの整理学」

「読み」の整理学 (ちくま文庫)

「読み」の整理学 (ちくま文庫)

2月19日読了。2013年15冊目。
「思考の整理学」の方がポピュラーだがあえてこちらを選んだ。自己啓発本とは本書のようにあるべきだと思う。難解だったり自分と関わりのない分野の本にも果敢にチャレンジしたいと思った。

次は昨日衝動買いしたショーペンハウエルの「読書について」でも読みますわ。


読むという行為には、既知を下敷きに既知を広げるように読むこと(アルファ読み)、未知な内容に対して分からないなりにも汗水たらして読むこと(ベーター読み)の2種類がある。読書の真髄とは未知を読み解いていくベーター読みの営為である。但し、我々は強制される機会がない限りアルファ読みに退行しがちである。その意味で学校の教科書はベーター読み習得には格好の教材である。

個人の責任で、めいめいの古典を決定するほかない。それをくりかえしくりかえし読むことによって、ベーター読みを可能にする。これが現代読者に残された途なのである。(P165)

本当に読む価いするものは、多くの場合、一度読んだくらいではよくわからない。あるいはまったく、わからない。それでくりかえし百遍の読書をするのである。時間がかかる。いつになったら了解できるという保証はない。それがベーター読みである。わからぬと言って、他人に教えてもらうべきはない。みずからの力によって悟らなくてはならない。(P187)

みずから考えそして悟るという点で、禅の考案と類似している。

※ちなみにここでいう古典とは、時の試練に耐えて風化せず生き残ったもの。つまりその場だけの特殊性だけでなく、一般化されたもの。僕の誤読がなければ。文章の中で「古典」が定義されてないから困った。

論旨には直接関係ないが僕が以前から感じていたことが書いてあった。

読書にはこういうネガティブな状況と表裏をなしている面があるらしい。いわゆる幸福な人はなかなか読書の奥義に参入することは難しい。(P173-174)

ツイッターで「メンヘラの方が読書が捗る」と呟いたことがあるが、外山氏のこの一文と僕の呟きは軌を一にしているよう思われる。

あと面白い表現が一つ。

古典化読みは、幾何学的な性格をもっている。(P212)

古典化読みとは典型をとりだす読み方で、文学的な性格をもつ個性化読み(特殊性を帯びる読み)と対置させている。