「論理哲学論考」

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

2月17日読了。2013年13冊目。
4年前つまり僕が高校3年生の頃から気になっていた哲学者であり、東大に来てから論考を読んだという人が周りにちらほらいたので僕も挑戦してみた。

内容自体は5章の途中から全く分からなくなりました本当にありがとうございました。5章までは「命題」なり「トートロジーと矛盾」なり断片的には理解できた(つもり)だが、ではテクスト全体の論理を追って彼は何が言いたいの?って尋ねられたら沈黙せざるを得ない。というか哲学入門書ですらフレーゲに挫折した僕がフレーゲ云々言われてもよく分からない。

ということで僕の口からは何も語り得ないので印象に残った文章を抜粋する。

命題に属するのは、射影されるものの可能性であり、射影されるものそれ自身ではない。(P24)

命題に含まれるのは意味の形式であり、内容ではない。(P25)

対象に対して私は名を与えることができるだけである。そうして記号は対象の代わりをする。私は対象について[その性質等を]語ることはできるが、[性質を抜きにして]対象を[単独で]言い表すことはできない。命題はただものがいかにあるかを語りうるのみであり、それが何であるかを語ることはできない。(P27)

命題は、論理的足場を頼りに世界を構築する。そしてそれゆえ、その命題において、それが真であるならばそこから論理的に何が言えるのかもまた、すべて見てとることができる。(P43)

これは20歳そこらで読む本ではないと同時に読んでもいい本である感じがした。何が言いたいかというと内容自体を楽しむというよりも、むしろ自分の分析哲学への適正・論考を読み切ったことに対する自信とひけらけし・ウィトゲンシュタインの文体など内容以外の面でより魅力を感じるのではないか、ということ。しかし或る程度の知識と経験を積み重ねた上で読まないと無理っぽいんだが、なぜこんなに沢山の人たちが読んでるの?っていう疑問が残る。

次は「青色本」か野矢さんの解説本かで迷う。3学期に大学で野矢さんの記号論理学を受講するのもよいかもしれない。