「社会的ひきこもり」

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

10月20日読了。2012年86冊目。

成長や成熟という、僕の嫌いな言葉が沢山出てくるが、それらを無視すると内容自体に踏み込めないので、とりあえず社会適合という意味で理解しておいた。

本書は理論編と実践編で構成されている。理論編は興味深かったが、実践編は身の回りに引きこもりがいないから実感が湧かない上に、内容もありきたりだったので少し退屈だった。終盤で書いてある、引きこもりを生み出す社会的な構造(ここでは教育に焦点をおいていた)が、この本のミソなのではないかと感じた。

引きこもりという現象は決して怠惰等、単純なことに割り切れる現象ではなく、複雑な事情が錯綜している。また引きこもりはスチューデントアパシー回避性人格障害境界性人格障害うつ病など精神疾患を伴いやすい。事態が複雑であるがゆえに悪循環に陥り、慢性症状になりやすい。しかし引きこもり患者の治療初診は引きこもりを始めて平均4年と治療開始が遅れる傾向にある。

引きこもりが思春期の病理であることを考えると、これは教育の問題と切り離せないことが分かる。

現在の教育システムは、「去勢を否認させる」方向に作用します。(P206)

「去勢」とは、万能であることの象徴である「ペニス」を取り除くこと、つまり万能であることを諦める、ということを示す精神分析用語である。現代教育は「無限の可能性がある」というような言説で子どもたちを誘惑し、全能性をむしろ助長させる方向に機能している。

人間は、象徴的な意味で「去勢」されなければ、社会のシステムに参加することができないのです。…略…成長や成熟は、断念と喪失の積み重ねにほかなりません。成長の痛みは去勢の痛みですが、難しいのは、去勢がまさに、他人から強制されなければならないということです。みずから望んで去勢されることは、できないのです。(P206)

要は全能感が捨てきれず現実とギャップを感じることから引きこもりに陥る可能性がある、ということだが、少し陳腐な感じがしないでもない。1998年出版だから当時からしたら世間的に斬新だったのかもしれないが。

他人は当該問題に距離があればあるほど無責任な発言をしやすい。健全で人並みに生きてきた人、いわゆる外野は、引きこもり問題を「甘え」や「怠惰」という個人的な問題に矮小化して思考停止する。そんな中、精神科医の本を読めたことは非常に意義があったと思う。