「快楽主義の哲学」/「渋澤龍彦幻想美術館」

快楽主義の哲学 (文春文庫)

快楽主義の哲学 (文春文庫)

10月19日読了。2012年85冊目。
最近読む本が良本すぎて、頭の中で色々な考えが渦巻いていてそれに言語化と思考整理が間に合わない状態が暫く続いている。

三島由紀夫推薦ということで一番最初のページにコメントを寄せているが、確かにこの本は「不道徳教育講座」に通じる何かはある。


まず満ち足りた生活を成就するためには二方面の要素があり、一つは出来るだけ苦痛を回避しすることで、もう一つは進んで享楽に耽ることである。前者を幸福への欲求、後者を快楽への欲求と呼ぶことにする(飽くまで渋澤流の分類)。しかし日本を含めたこの世では、快楽を拒否して、けちくさい思想の方がありがたがられている。文明の発達は物質的な豊かさをもたらしたが、一方でそれは現実原則(快楽を抑制して一市民として自他共栄的にふるまうこと?)に則した生活を助長した。この現実原則に則った振る舞い方は全ての人間に備わる快楽への欲求を阻喪させてしまった。しかしそんな裏に傲慢さや矛盾を孕む、けちくさい、かびくさい抑圧的で病弱な思想、つまり道徳主義的な考えはモラルの一部分であり、そのほか、功利主義、快楽主義等、多彩なモラルが存在するのは事実である。

古代ギリシアに快楽主義的なエピクロス派と禁欲主義的なストア派というものがあったが、それらは一見相反する思想のように見えるが、突き詰めると、生の桎梏から逃れて平静な心の状態、つまりアタラクシアへの到達を求めていた。エピクロス派は緊張緩和、ストア派は自然との一致という異なる点で、生からの解放を志向していたのである。

快楽主義は人格主義・道徳主義が蔓延るこの世で軽蔑されるが、向う側に聳える幸福を待ち続けるのではなく、あるかどうかすら分からない死後の明日のためのみみっちい処世術など捨てて、無意識の根底に眠る快楽に従って生きていくことの復権を願う。

あと本文の要旨に直接関係のない枝葉部分だが、僕が以前から選挙制度に対して思っていたことを見事に言語化してくれた箇所。

有権者、つまり、わたしたちは、民主主義という大義名分により、なんの疑いもなく投票所に行く。一票を投ずることによって、一日だけ主権者になるという政治の任務を果たしたつもりで、満足してしまう。じつに選挙とは、わたしたち国民の不平不満を解消するための、巧妙な罠ではないでしょうか。選挙とは、支配人が人民をうまく治めるための口実にすぎないのではないでしょうか。一日だけ主権者で、あとは内閣が解散でもしないかぎり、政治へのいっさいの発言権を奪われるのです。一人一人が票に候補者の名まえを書いて、投票箱に入れてしまえば、それでもうおしまいなのです。(P76)

澁澤龍彦 幻想美術館

澁澤龍彦 幻想美術館

渋澤龍彦関係でもう一冊。これは10月初めに購入した渋澤龍彦の称賛した画集でたまに手にとるのだが、非常に素晴らしい&面白い。芸術に疎いが故に表現できる語彙をもたないのが歯痒い。