「午後の曳航」

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

10月10日読了。2012年78冊目。

海に生きる男から陸に生きる一介の男に竜二が変化していくこと、少年たちの哲学との二層構造から成っていて面白かった。ただ前半部の描写が長々していて少し飽きていた節がある。

主な登場人物は3人。13歳の黒田登、その母で夫を亡くした黒田房子、二等航海士の塚崎竜二。陸の生活では決して手に入れることのできない彼にしか達成できない栄光を信じ切り、逞しい肉体と精神を兼ね備えていた竜二は、思春期まっただ中の登、ひいてはアウトローな思想をもつ彼の友達の集団の憧れだった。しかし房子との出会いと結婚はそんな竜二を徐々に変えていった。登の友達と出会ったときに見せた威厳のない小物臭や、友達が最も憎んだ父親を進んで演じようとしたこと、これらのことは海で逞しく生きる、本来許されるべき男にあってはならないことだった。少年たちは空虚で許すまじき世の中に染まっていく竜二を死刑に処することにした。

wikipediaに載っている解釈が面白い。

作中内の少年たちは「非力」な存在であり、「普遍的な力を持ちえないことによってさらにイロニー化される」[1]と柴田勝二は指摘している。そして佐藤秀明は、「彼ら(少年たち)は“非力”なるがゆえに全能感を持つという小説内の論理を背負っている。“子供たちの夢みがちで残忍な眼”を捉えて、村松剛は“メルヘン”(“おとなのための童話”)と呼んだが、“非力”なるがゆえの全能感という転倒した論理が、現実的には“メルヘン”に見えるのは当然だった。

田坂纍は、『午後の曳航』の二部構成の「夏」と「冬」は、「海」と「陸」といってもよいとし、三島にとっての「戦前・戦中」と「戦後」にも置き換えられると見ている。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%88%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%9B%B3%E8%88%AA)