「右翼と左翼」

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

10月9日読了。2012年77冊目。
まだ覚えてる。2009年秋の東大オープンのあまりの手ごたえの悪さから失望し、翌日の学校の休み時間に勉強もせず高校の図書館で適当に手にとって読んだ本。浅羽氏の本は昨年3月に読んだ「大学で何を学ぶか」に次ぐ2度目。


右翼というと秩序・保守とか左翼というと自由・平等・進歩といったことが連想されるが、具体的に何を右翼とし何を左翼とするかは普遍的なものではなく、各時代の政治的経済的に左右される。右翼左翼の起源はフランス革命まで遡ることが出来るが、ナポレオンの独裁までに劇的な変動があり、体制や社会の基準や標準が変動するごとに右と左の具体的な主張も変化していった。

現代日本社会においての右翼左翼は、理想や理念が現実を引っ張ることなくなり、その上社会の利害を自分自身の利害に結びつけるセカイ系の傾向があるため、両者を峻別することは難しい。

豊かさ、民主主義、文化相対主義、平和尊重等が、「右」「左」のほとんどが共有する目標となり、対立はそれを実現、いや維持してゆくにあたってのいろいろな微調整をめぐるもの程度に縮小された…略…。現在では「左」も「右」も、いくつもの政策の束を一つの体系にまとめあげて、それを極限まで徹底実現した未来をユートピアとして夢見る思想、つまりイデオロギーであるのをやめた。(P232)

眠くてぼんやりしてるときにまとめたのでもう一回書き直したい。