「堕落論」

堕落論 (280円文庫)

堕落論 (280円文庫)

9月25日読了。夏休み41冊目。2012年71冊目。

堕落論」「続堕落論」「青春論」「恋愛論」の4編。続堕落論神すぎワロタ。青春論つまらなすぎワロタ。天皇制にしても義理や人情にしても日本人大好き耐乏精神にしても、それらは空虚で形式上な、さらに窮屈な制度である。自我の出発と人間性の回復は、赤裸々な心から始まる、みたいなことを続堕落論で言ってる。青春論は武士や宮本武蔵の話が出てきて急激に退屈を感じたので若干飛ばした。恋愛論は、日本語に関する考察という全く関係のない箇所が一番興味深かった。恋愛の話はありきたり。

amazonで買った280円文庫5冊は全て読み終えた。安くてコンパクトなので満足度は高い。他の280円文庫シリーズについては、岡本かの子「家霊」と太宰「桜桃」を読みたい。


堕落論

戦争は終わった。…略…ただ人間へ戻ってきたのだ。…略…人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(P20)

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。(P20)

他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。(P20)

・続堕落論

日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬賛美が過去にむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。(P25)

人間の、また人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。…略…大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることがまず人間の復活の第一条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。(P28-29)

我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。(P29)

善人は気楽なもので、父母兄弟、人間どもの虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然と死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだいして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。(P30)

日本人が世界人になることは不可能ではなく、実は案外簡単になりうるものであるのだが、人間と人間、個の対立というものは永遠に失わるべきものではなく、しかして、人間の真実の生活とは、恒にただこの個の対立の生活の中に存しておる。この生活は世界連邦論だの共産主義などというものがいかように逆立ちしても、どう為し得るものでもない。しかして、この個の生活により、その魂の声を吐くものを文学という。文学は常に制度の、また、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。(P33)

生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。(P34)

堕落は制度の母胎(P35)

・青春論
生きる=青春。

こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それでいて生きているのが勢一杯で、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい。僕には余裕がなにのである。生きることが、ただ、全部なのだ。そういう僕にとっては、青春ということは、要するに、生きることのシノニイムで、年齢もなければ、また、終わりというものもなさそうである。(P96) ※シノニイム=同義

恋愛論
人生の花。失敗はつきもので、刹那的。

たった一語の使いわけによって、いともあざやかに区別をつけてそれですましてしまうだけ、物自体の深い機微、独特な個性的な諸表象を見のがしてしまう。言葉にたよりすぎ、言葉にまかせすぎ、物自体に即して正確な表現を考え、つまりわれわれの言葉は物自体を知るための道具だという、考え方、観察の本質的な態度をおろそかにしてしまう。…略…われわれの多用な言葉はこれをあやつるにきわめて自在豊饒な心情的沃野を感じさせてたのもしい限りのようだが、実はわれわれはそのおかげで、わかったようなわからぬような、万事雰囲気ですまして卒業したような気持ちになっているだけの、原始詩人の言論の自由に恵まれすぎて、原始さながらのコトダマのさきわう国に、文化の借り衣装をしているようなものだ。(P102-103)