「死者の奢り・飼育」

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

8月31日読了。夏休み16冊目。
大江健三郎の作品はつまらないと評されることも多いが、個人的には面白すぎワロタンゴwwwwwww全作品が面白いのは珍しい。

・死者の奢り
死体処理のアルバイトをする学生の《死》に対する考察。

あの布の下で、あんなに生命にみちたセクスを持つ少女が《物》に推移し始めているのだ、すぐにあの少女は、水槽の中の女たちと同じような堅固な、内側へ引きしまる褐色の皮膚に包まれてしまい、そのセクスも脇腹や背の一部のように、決して特別な注意を引かなくなるだろう、と僕は考え、軽い懊悩が躰の底にとどこおるのを感じた。(P34)

確かに、生きる人間は意識と肉体の複合、死んだ人間は物としての肉体であるが、学生が死んで間もない少女の性器に性的興奮を覚えたことから、生→死への時間的な流れがグラデーションのように推移してゆくように感じた。

・他人の足
脊椎カリエスの子供たちは世界と結合されない閉鎖的な病室内でひっそり生活している。そこに学生が新しく迎え入れられる。外の世界と接していた学生は勉強会を開くなどして、小社会である病室を徐徐に外の世界に結びつけ、それにより病室は以前とは異なり活気と快活に充満される。《僕》と自殺未遂の少年を除いては。学生はその後歩くことに成功し病室から去ることになるが、もはや病室の住人と学生に以前のような関係はない。自分の足で立っている学生は異邦人と化した。

自分の足の上に立っている人間は、なぜ非人間的に見えるのだろう。(P76)

結局、僕はあいつを見張っていた。そして、あいつは贋ものだったのだ、と僕は考えた。(P77)

・飼育
ある村に飛行機が墜落し、そこで黒人兵が村の大人たちに捕えられ、飼育される。黒人兵を敵と見なしていた<僕>は地下倉で黒人兵と接触していくうちに同胞意識の感情が湧きでた。しかし黒人兵が隣の街に引き渡されることになると、僕は黒人兵に人質として囚われてしまう。

黒人兵は《敵》に変身し、僕の味方は揚蓋の向うで騒いでいた。(P129)

ところが、味方に変身したと思われた村の大人たちは僕を見捨ててまで黒人兵に攻撃を加えた。ここで敵意は黒人兵から村の大人たちへと拡充する。気を失った僕はやがて村の子供たちが遊んでいる元へ駆けつけるが、そうした子供たちとは隔絶した存在であることを認める。僕はもはや子供ではなかった。

僕はもう子供ではない、という考えが啓示のように僕をみたして。(P138)

僕は子供たちに囲まれることを避けて、書記の死体を見すて、草原に立ちあがった。僕は、唐突な死、死者の表情、ある時には哀しみのそれ、ある時には微笑み、それらに急速に慣れてきていた、村の大人たちがそれらに慣れているように。(P141)

・人間の羊
バスの中で乗客数人が外国兵に尻を剥き出しにされ、尻を叩かれる。その様は《羊》だった。外国兵が降車した後、傍観者たちは外国兵と戦う決意をしそれを羊たちに積極的に提案する一方で、羊たちは頑として沈黙を守る。僕は降車後、先に受けた屈辱を忘却しようと努めるが、傍観者たる教員に追われ、外国兵への戦いの要請をしつこく受けることになる。

僕は自分のうけた屈辱をあたりいちめんに広告し宣伝することになるだろう。(P164)

傍観者は、発生した事件に関して、屈辱や羞恥を切り捨て、善悪や社会的意義を捨象する。傍観される側、つまり被害者とは異なり、正義感にまで至る心理的な進路が単純である。しかしその一側面的な正義感は、被害者側と相いれないこともしばしば。

・不意の唖
外国兵の権力の下に威張り散らす通訳は自分の靴を失くす。村人の窃盗を疑い、権力を用いて強制捜査を執行する。結局通訳の靴が見つからず、反抗的な態度を示した部落長は通訳の命令で外国兵に銃殺される。その後、通訳は村の住人に溺死させられる。

・戦いの今日
キャンプから脱出した外国兵を匿った《かれ》は憲兵の訪問の可能性と外国兵及び娼婦との共同生活に苦悩する。


《ぼく》という視点、外国兵の暴力、コミュニティと外部(侵入者)が特徴的な短篇集だった。