「生き延びるためのラカン」

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

世界一わかりやすいラカンの入門書らしいが、僕にはよく理解できなかった。斎藤先生のかなり噛み砕いた努力もあり読み進めるのに苦労はしなかったが、結局全てが曖昧にしか理解されなかった感がある。


エディプス・コンプレックス
人間は幼少期におけるエディプスコンプレックスを経験し、父親のペニスになることを諦める(=「去勢」)、ペニスの象徴(=「ファルス」)を作りだすことで、言葉を語る人間になり得る。しかし去勢を受け入れることは、主体の欠如をもたらす。主体の欠如からわれわれ人間は欲望に向かうのである。

・女性
女性は存在しない=女性を明確に定義づけることはできない。

女性を積極的に指し示すような言葉、つまりシニフィアンは存在しないんだね。だから僕たちは、女性についてはその特徴をひとつひとつ足し算するみたいに述べることしかできないわけだ。(P158)

生きた女性の全体ではなくて、その一部を、幻想的なものとして愛するのだ。このとき女性は「対象a」として、男性の欲望の原因となっている。(P164)

ラカンは「女性は男性の『症状』である」なんて言いかたをしている(P164)

・用語
対象a…欲望の原因。
精神病…想像界象徴界現実界の3つが「ボロメオの輪」のように連関するのが所謂正常な状態であり、それがバラバラな状態にあるのが精神病である。
転移…カウンセリング等で患者が治療者に好感を抱いたり、恋愛感情を抱いたりすること。

・斎藤氏の人間に関する考察
われわれ人間は言葉や転移や投影や同一化でを通して現実らしきもの(=リアリティ)を把握するなど、情報を伝え合いのにはとても効率が悪い。しかし合理的な知性集団に終始せず、一定の愚かさを持ち合わせているからこそ、そこに意味があるのかもしれない。

人間の知能は、欲望や目的で制約を設けなければ、完全に世界を覆い尽くしてしまいかねないほどに高まりすぎた。他の生物との共存をはかるためにも、人間は知性を犠牲にせずに、ある種の愚かさを手に入れる必要があったのだ。それが「こころ」という、いっけんとっても不便な贈り物だったのじゃないだろうか。(P249)

フロイトについてもラカンと同程度に述べられていたので、フロイト精神分析における重要性も垣間見れた。