「自由からの逃走」

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

2010年に予備校に通っていた時、英語講師から薦められた本。ずっと読もうと思っていて2年が過ぎたが漸く読了した。分かりやすい概念を用いているので大学生でも比較的容易に読める。


中世的社会組織が存続していた時代は、伝統的な価値や社会的な役割を享受しているがゆえに、個人的自由には欠如していたが、生まれた瞬間に得た確固たる第一次的絆により、個々人を精神的に安定させるように社会は機能していた。

しかし近代の資本主義的社会が確立することで、人間は市場における手段におちぶれ、それにより相互の人間的な関わり合いや付き合いが希薄になることで、個々人は孤独や無力感を感じるようになり失われた一次的な人間関係の代わりに二次的な人間関係を求めるようになった。

市場の法則があらゆる社会的個人的関係を支配している。競争者同士の関係は、相互の人間的な無関心にもとづかなければならないことは明らかである。(P135)

失われた第一次的絆のかわりに、新しい「第二次的」な絆を求めることである。このメカニズムは、服従と支配への努力という形で、はっきりとあらわれる。(P160)

かれらは自分を肯定しようとせず、したいことをしようとしない、しかし外がわの力の、現実的な、あるいは確実と考えられる秩序に服従しようとする。…略…もっと極端なばあいには-しかもしばしば-自分を小さくし、外がわの力に服従しようとする傾向のほかに、自分をきずつけ、なやまそうとする傾向がみられる。(P160)

自我喪失の結果、順応の必要が増大した。(P280)

もしわれわれがこのような事情にしたがって行動しないならば、われわれはたんに非難と増大する孤独の危険をおかすだけでなく、われわれのパースナリティの同一性を喪失する危険をも犯すことになる。(P280)

サディズムマゾヒズム的な人間は同じ精神状態に由来する。それは無力感と孤独感である。サディストは攻撃する対象である他者を必要とすることでかれらに依存し、一方でマゾヒストは無力で弱い自分をより高い力の中に解消することでかれらに依存する。ある他者に自己の全人格を結びつけることで、耐えがたい無力感・孤独から逃避しているのである。

サディストはかれが支配する人間を必要としている。しかも強く必要としている。というのはかれの強者の意識は、かれがだれかを支配しているという事実に根ざしているから。(P162)

マゾヒズムはこの目標への一つの方法である。マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのがれること、自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのがれることである。(P170)


ヒトラーナチス権威主義的性格と呼ばれる形態を極端な形で表現したが、それと同様の性格構造をもつ民衆に合致して、ナチズムが熱狂的に支持されるようになった。ヒトラーナチスの思想においては、大衆は権力者に服すことで自己を放棄しなければならない。

個人はこの自己の無意識さを承認し、自己をより高い力のなかに解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することに誇りを感じなければならない。かれは理想主義の定義のなかで、この考えを明白に表現している。(P254)

孤独や無力感から目を背けて第二次的絆や権威等の強大な力に対する服従に逃げるのは新たな束縛を作り出すだけで、根本的な解決にはならない。積極的な自由を求めるためには自発的な意思・自我を実現させる必要がある。

積極的な自由は全統一的なパースナリティの自発的な行為のうちに存する。(P284)

われわれのものとは、ひとであれ無生物であれ、われわれが創造的な活動によって純粋な関係をもっているものだけである。われわれの自発的な活動から生まれるこれらの性質のみが、自我に強さをあたえ、ひいては自我の統一性の基礎となる。(P288)

近代人の精神分析や逃避のメカニズムやナチズムの心理に関してはものすごく明晰で面白かったのだが、結論部がありきたりで具体性のない精神論で締めくくられていたので残念だった。しかし全体を見ればかなり満足できた。