(アカン)

何かに対して努力をしていこうという姿勢が完全に欠如している。努力の投影体はしっかりとある。しかし勉強にしても柔道にしても手を抜いてばかりで現時点においてあらゆる面で中途半端に経過しているように思われる。いや勉強も柔道も実績的には悪くはないが、瞬間瞬間に全力を投じれば、さらなる高みに到達することができることは確かだ。実績などの相対式評価は均一化の楔である。

終局的に僕は結果を一番大事にしたいと思うので、そこに至るまでの過程はほとんど考慮しないタチだが(但しその過程が結果を最大化するために意義があるなら考慮するが飽くまでも過程は手段であり目的ではない)、僕の場合、何一つ特別な才能を持たない(それで生計を立てれる程度の特長が皆無)ので小さいことを愚直に積み重ねるという手続きを踏んでいくしかない。人類の99%はこうであろう。

但しある目標を設定して遂行しようとする中で最も危険なのは、頑張らないこと・斜に構えることを美徳とし高尚だと考えることだ。反転した選民思想。これは実学を軽蔑して虚学を崇拝する構造に何となく似ている。しかし似て非なるものだ。後者は"あまり"実害と後悔を伴わない。無為自然に近い表層的な過ごし方も理想的ではあるしここ数年この方針をとっていたが、ある対象に愚直に没入していくことも悪くはないような気がしている。尤もこれらを二元論的に考える必要もなくジンテーゼする発想もある。

努力に対する成果は必ずしも線形的でないので難しいところだがそろそろ切り替えが必要な時期かもしれない。ただ少し中二病っぽいが社会のテンプレに染まっていくことに対しては嫌悪感がある。僕の理想としては社会(ゲマインシャフトゲゼルシャフト)と一定の距離を置きつつコツコツと積み上げていくことだが、僕の身体が言うことを聞いてくれるかどうかが第二の関門となる。