「国家漂流 そしてリーダーは消えた」

国家漂流 - そしてリーダーは消えた

国家漂流 - そしてリーダーは消えた

10月23日読了。2012年88冊目。

近年政治の堕落が叫ばれているが、その堕落の起源と原因は何なのかを戦後政治史や英米仏の政治制度(特に政治家育成)と比較して考察していく本。本書の終盤で伊藤氏の提示するこれからの日本政治の立て直しを図る策が具体的でなく曖昧模糊としているのが難点だが、戦後政治史の中で強いリーダーシップを図った政治家を考察した箇所は面白かった。

第2章の政治家たちのちょっとした列伝は一読の価値あり。後藤田正晴大平正芳などあまりエピソードが有名でない政治家の話も読める。


近年リーダーシップを発揮する政治家が日本から消え、没個性的で均質化された政治家が総理大臣のポストにつくという事態が縷々と続いている。この日本政治堕落の大きな原因として自民党が行った選挙制度改革(中選挙区の廃止、小選挙区の導入)が挙げられる。中選挙区制の下では同じ政党に属する政治家が同じ選挙区で争うことになったため、政策ではなくサービスに重点がおかれこれが政治とカネの問題に発展した。政治とカネの問題を解決するため小選挙区制の導入が実現したのだが、これにより自民党内で長期的なリーダーの育成に寄与してきた派閥の存在意義が薄れ、実質的に崩壊した。派閥内外で激しい競争に曝され、自身が身に付けた独特で逞しい処世術は、首相にふさわしいスキルと精神を与えた。その派閥崩壊後の自民党ではリーダー育成が正常に機能しなくなった。これは実力者が次第に政界から減少することを意味する。また大衆から人気のあった小泉首相以後、政党側がポピュリズムに乗っかり安易に国民から人気のある首相をかつぎだすようになったこと、国民側が安易な救世主願望を抱いたことも日本政治堕落の一つの要因とも言える。

「国家は少数の選ばれた人間を徹底的に教育することで、リーダーにふさわしい人材を確保しなければ維持できない」という、ある種の“割り切り”である。フランスはそれを、ほぼ完璧な能力主義、悪くいえば「勉強エリート」の育成によって実現しようとする。一方のイギリスは階級社会をベースに、学業ももちろんだが、パブリックスクールでの徹底した、しかも厳格な「躾」に見られるように、リーダーとなるべき子供たちの人格形成にも重点を置いていると思われる。(P213-214)

日本も、横並び・均質的な、悪しき平等主義にしがみつかず、現実を見据えて国家を担うエリートの育成を構造的に行っていく必要がある。

ちなみに僕もエリート側の改革というかエリートの育成と養成に重きを置くことに肯定的な意見をもっていた。国民側の意識改革にも著者は解決策を見出しているが、それはあまり現実的でなく且つそれが成就するにしても時間がかかると思う。ということで僕はノブレス・オブリージュを意識するエリートの出現の方に期待したい。文一の連中頑張れ。

家系の中に大卒者がいない(僕だけ)というエリートと縁遠い環境で育った僕でも、日本の存亡を考えると、そのように思う。