「カーニヴァル化する社会」
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/05/19
- メディア: 新書
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9月20日読了。夏休み36冊目。
3章における新出用語の説明や定義がやや不足気味で、つっかえる箇所は幾つかあった。この人文章力ないんじゃね?しかし概ね満足できる内容であり、大澤真幸や東浩紀と似たような雰囲気を感じた(どちらも1冊しか読んだことがないけど)が、実際本文でも幾つかの箇所で彼らを参考にした部分が散見されていた。
慶應時代に読み終えたためぼんやりと記憶しかないが、僕が唯一読んだ東浩紀の著書「動物化するポストモダン」の大きな物語の喪失により個々人の思想形態がより個々に帰するようになった、みたいな論と重なっていた印象を受けた。
☆
現代人は彼の内側に超越論的な審級が存在しないため、常に「再帰的な自己」である。「再帰的な自己」は、主客が分離しその都度主(I)が客(me)を超越的に審判して自己像を獲得する「反省的な自己」と異なり、「私は私」という無根拠な断定を行う。しかしその私が私たることはデータベースにより裏付けられているため、確率論を超えるような私は算定されないようになっている。データベースから算定される「私は私」から湧く宿命論に対するカーニヴァル(=ハイテンションな自己啓発)、つまりカーニバルとデータベースの共犯関係というものが、現代社会を知る枠組みになるのではないか。
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パラっと再読しても、議論が分散されているせいかイマイチ吸収できなかった。もしかしたら上の要約も誤読してるっぽい。